「100年前の若者」 | thinkstep株式会社


「100年前の若者」

 旧東京音楽学校奏楽堂のホールでチェンバロの演奏を聴いた。弦の響きが疲れをいやしてくれる。次第に瞼が重たくなり、空間に音が流れる。

 

 この奏楽堂は、明治23年に建造され、建物の老朽化が目立つようになったため、台東区が東京芸術大学から譲り受け、現在の場所に校舎を移築したものだ。

 

 明治時代からの様式がどれほど残されているかは知らない。そもそも建物の場所も変わっているのだけれど、古めかしいが律儀な建築様式は明治時代にタイムスリップしたような気分にさせてくれる。「かつて瀧廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台です。」と説明されている。

 

 明治時代の若者が西洋音楽にあこがれて階段を上っていたに違いない。

 

 隣の都立美術館では没後100年クリムト展が開かれている。

 

 クリムトは屏風絵や浮世絵などの日本絵画研究に熱心だった。女性の首をかしげて描かれる脱力した表情、背景の金色のスペースなど日本の絵から影響を受けているに違いない。“華やかな装飾性と世紀末的な官能性をあわせもつその作品”とも言われる。

 

 1901年第14回ウィーン分離派展示会で展示した《ベートーヴェン・フリーズ》は大変な不評。その後クリムトは公的な仕事から遠ざかり、個人的なパトロンたちから好意的な批評と金銭的な援助を受け、黄金時代を迎える。

 

【しかし……《ベートーヴェン・フリーズ》は……(私の感じですが)……形、線、装飾どれも魅力的で、モダンです。】

 

 西洋音楽を懸命に学んでいた明治の若者たち。日本の絵を研究して、そのエキゾチックな美の神髄を取り込んだ19世紀末のウィーンの画家。

 

 上野では、時代を築いた若者たちのエネルギーが火花を散らす音が響く。(C)

コメント 1件

  1. skylineR31gts Says:

    本ブログに登場する施設は上野公園内あるいは周辺に存在するものでしたでしょうか。かつて上野公園を見学したことがありますが、確か周辺に東京芸大や美術館等の施設があったことを微かに覚えています。

    当時の若者達は、文明開化の明治の時代を迎え、今では考えられない程、エネルギッシュで活発だったのでしょうね。いつの時代も今の時代を賢明に生きていくことが重要なのでしょうね。

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